【異常】大阪でランボルギーニ無免許運転の男が逮捕!諸星一家「FIGHTING STAR」のロゴ付アヴェンタドールで8年間暴走か。闇車検問題に続く不祥事でブランドイメージは失墜へ
(続き)何かとネガティブイメージのあるランボルギーニだが、正統派ミウラは還暦を迎えることに
ランボルギーニ・アヴェンタドールにて無免許運転を繰り返した大阪府の男が話題となる一方、ランボルギーニのブランドイメージがどんどん悪くなっていますが…
そんなランボルギーニのフラッグシップV12モデルでお馴染みとなるミウラ (Lamborghini Miura)が、1966年にデビューして60周年を迎えることに。
ジュネーブモーターショー1966にて衝撃デビューを果たしたミウラですが、ブランドの考え方の完全な転換点となり、量産ロードカーとしては初めてとなる「横置き型」のミドシップV12エンジンを搭載した一台でした。
芸術作品なのはもちろんのこと、当時は新技術と驚きの連発だったミウラ

こちらが、ランボルギーニ伝統の一台ともいえるミウラ(海外カーメディアmotor1.comより引用)。
ミウラの構想は、1964年にランボルギーニのエンジニアリング部門内で具体化し始め、プロジェクトはジャン・パオロ・ダラーラ氏とパオロ・スタンツァーニ氏が主導し、テストドライバーのボブ・ウォレス氏も貢献しました。
最初のステップでは、ボディデザインではなく、革新的なシャシーの開発から開始。
1965年のトリノモーターショーでは、シャシーのみの状態で展示され、この構造は、溶接されたスチール製プラットフォームに縦方向のクロスメンバーと、軽量化のために極めて薄い隔壁を組み合わせたもので、シャシー単体の重量は僅か120kg程度でした。
エンジンとギアボックスは、軽量合金鋳造の一体型ユニットとして横置きに搭載され、このコンパクトな設計により、ホイールベースが短縮され、車軸間の質量が集中するも、振動や熱、その他の技術的な課題に対処するため、慎重な開発が必要となりました。

元々は、ジオット・ビッザリーニ氏が350GT用に設計したエンジンをベースに、60度角のV型12気筒自然吸気エンジンへと大幅に改良。
P400モデルでは、排気量は4.0Lに、4基のウェーバー40 IDL 3Cツインチョークキャブレターによって燃料供給され、各シリンダーバンクに2本のオーバーヘッドカムシャフトが採用されていました。
最高出力は350hp/7,000rpmで、最高速度は約280km/h、0-100km/h加速は6.7秒と謳われており、当時のレーシングカー並みの性能と言われていました。

1968年に登場したP400 Sでは、キャブレターの改良とチューニングにより、出力が370hpに向上。
1971年には、P400 SVが登場し、最高出力385hp/7,850rpmを発揮し、リアトレッドが拡大され、エンジンとギアボックスに独立した潤滑システムが採用されました。
この変更により、信頼性と熱管理が向上し、初期モデルの主要な弱点の1つが解消され、最高速度は約290km/h超えといわれていました。
ミウラの特徴の一つでもある「まつげ」は、SVで廃止に

ミウラのシャシーは、ベルトーネによって最終的な形に仕上げられ、マルチェロ・ガンディーニ氏が、機械的なアクセス性を向上させるため、前後のパネルをヒンジで開閉できる極めて低いボディを設計。
ポップアップ式ヘッドライトの周りの「まつげ」のようなデザイン要素(後にSVでは削除された)は、この車の特徴的なデザイン要素の一つに。
サイドの吸気口とリアの通気口は、単なる装飾ではなく、ミドシップに搭載されたV12エンジンの冷却ニーズを満たすための実用的な解決策として採用されました。
ミウラは約7年かけて「763台」を製造された貴重なモデル

現代のCFDシミュレーションが登場する以前から、ミウラの空力性能は経験的なテストと工学的な直感によって形作られ、高速走行時にはフロントエンドにリフトが発生し、それが後にサスペンションの設定や重量配分の調整につながりました。
車体の重心が車体中央付近に集中しているため、ミウラは当時のフロントエンジンGTとしては異例のレスポンスの良さを実現。
ステアリングはダイレクトで、V12エンジンの反応は即座に劇的であり、シャシーはドライバーに生き生きと情報を伝えていました。
そんなミウラは、1966年から1973年にかけて「763台」を生産。
これほど複雑な手作業で製造された車としては、驚異的な台数と言え、ミウラは瞬く間に、ビジネスリーダー、芸術家、そして国際的な著名人の間でカルト的な人気を博しました。
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