これは注目。世界一のスピード違反を記録したスモーキー永田氏所有のトヨタ「スープラ」がオークションに登場【動画有】

2022-06-29

来年の1月より開催予定となっている東京オートサロン2018にて、世界に名を轟かせた”スモーキー永田”こと永田和彦氏が所有していたトヨタのV12エンジン搭載となる「スープラ」がオークションにて出品されることが判明しました。
今回出品の個体は、ゴールドのボディカラーに豪華なワイドボディキット(SUPER G-FORCE)を装着し、最高時速がまさかの358km/hにまで到達するというとんでもない個体。

そのため、パワートレインは排気量3.0L 直列6気筒エンジンからトヨタ「センチュリー」に搭載される排気量5.0L V型12気筒エンジンにスワップし、更にはシリンダーの各バンク用ターボチャージャーと窒素注入により最高出力940ps、最大トルク1,010Nmを発揮するというとんでもないスペックを持つことに。


今回の豪華すぎるデザインについてスモーキー永田氏は「スープラの将来の姿を想像(創造)するためにワイドボディキットを装着し、更にそのスタイリングには、標準的な曲線を描く外観を除き、ノーズの張り出しを強調することでスポーティさを演出した」とのこと。

尚、この個体は2007年の東京オートサロンにて特別な賞を受賞した一台でもあるとして、それに加えてイタリアに持ち込み、ナルドテストトラックの最速ラップを披露。その際の最高時速として358.22km/hを記録したことでも有名ですね。

来年1月より出品されるオークションでは、一体どれほどの落札価格を得ることができるかは不明ですが、やはり世界に名を轟かせた一人のクルマということもあって、その注目度は相当に大きいのではないかと思います。

ちなみに、こちらがスモーキー永田氏がV12エンジン搭載の「スープラ」をイタリアに持ち込んだ際の映像となります。

なお、スモーキー永田氏は、自動車整備「TOP SECRET」の経営者でありながらも、世界一の速度違反の記録を持つ有名な人物。
彼は、1997年にイギリスのMロード(高速道路)にて、どこまで速度を伸ばすことができるのかに挑戦。制限速度70マイル(約113km/h)に対して、時速317km/hというとんでもないスピードにて走行したわけですが、この日はあまりにもタイミングが悪く、後続のパトカーから取締を受け、205km/hの速度超過にて逮捕、更には世界一の速度超過記録として世に知れ渡りました。

当時、スモーキー永田氏が乗っていた個体は、上記のV12とは異なるトヨタ「スープラRB26」。日産「GT-R」のエンジンを搭載し、最高出力は約800psを発揮。
スモーキー永田氏は、後輪を空転させることでタイヤスモークを発煙させるバーンアウトを得意としており、国内の首都高の料金所毎に必ずバーンアウトをしていたことから、なぜか「スモーキー」というニックネームがついたわけですが、今回の挑戦においてもしっかりとバーンアウトを実施していましたね。

Mロードでは、「スープラ」の力を最大限に発揮し、一歩間違えれば即死レベルのスピードに達するも、ポリスカーに捕まり、翌日のデイリー・ミラー紙ではデカデカと記事として挙げられていますね。
ちなみに、彼は3日間の拘留の後、釈放され帰国したわけですが、日本の新聞各社は「ここまで大きな犯罪を犯したにも関わらず、なぜ3日後に帰国させたのか」と大騒ぎしていましたね。
しかしながら、イギリスでは彼のような速度違反者がMロード上を爆走した英雄のように扱っていたため、日本以外のオーストラリアやニュージーランドでは、彼はカルト的な存在であったとのこと。

以下は、当時の速度違反記録の瞬間を放送していた番組となりますが、現代のバラエティー番組ではまず有り得ない内容となっており、昔の放送はある意味何でもありの内容だったように記憶しています。

関連記事:世界初のスピード違反車両が公開に。制限速度3km/hを13km/hで走行して罰金に

以前、世界最速のスピード違反を犯した自分が日本人であり、その際に乗車していた車両がトヨタ「スープラ」(とはいってもエンジンは日産「GT-R」)である記事を公開しましたが、今回は「世界で初めてスピード違反を犯した車」をご紹介。
その個体は「アーノルド・ベンツ・モーター・キャリッジ」という個体で、この個体を所有していたウォルター・アーノルド氏が、1986年にイギリス・パドックグリーンにて、制限速度3km/hのところを約4倍の時速13km/hにて走行してしまったため、有罪判決(1シリング=10.5円の罰金)を受けてしまったと記録されています。

個人的に思うことは昔の公道?と思われる路上を制限速度3km/hに設定していたことはとても驚きですが、当時は今のような舗装された道以外にも制限速度を設けていた道(いわゆる歩道を優先とした狭い道)が多く存在し、そういったところの速度制限は相当に厳しかったとのこと。

ただ、今回のようなスピード違反をきっかけに、「時速3km/hではあまりにも厳しすぎるわ!」という理由から、1896年後半にこの法律は撤廃され制限速度が3km/h→23km/hにまで引き上げられという事実も。

この速度違反を受けた後、ウォルター・アーノルド氏は、ロンドンからブライトンまでの距離108kmを走破するロイヤル・モーター・クラブ「ベテラン・カラー・ラン」に参戦し、大きな功績を讃えられるほどの有名人になり、その後の自動車技術の発展と可能性にも大きく貢献しています。