まさに奇跡。父が愛車ランボルギーニ・カウンタックを泣く泣く売却→息子が大人になりカーディーラー経営→車を売りに来た男性が父のカウンタックだった

現実世界でも、このような奇跡が起きるんだな…

1970年代、当時日本はスーパーカーブームでランボルギーニ・カウンタック(Lamborghini Coutach)のドアが上に開くスタイルが大きな注目を集めました。

本モデルが誕生して50年以上が経過した今でも、鋭く角度のついたくさび形は色あせず、後のディアブロやムルシエラゴ、アヴェンタドール、そしてレヴエルトに受け継がれたシザードアは、ランボルギーニの象徴になっています。

カウンタックは、現代のランボルギーニの車名では定番となっている「闘牛」が由来ではなく、ピエモンテ地方の方言から来ています。

当時、プロトタイプ車両の組立ての最終段階において、労働争議による作業停止を避けるため、イタリア・トリノにあるグルグリアスコ近郊の農場の農機具小屋に隠していたところ、農家の人がピエモンテ語で「Countach!(クンタッチ)」と驚いて発見したことから来ています。

そんな歴史あるカウンタックについて、まるで現実世界では起こり得ないような出来事が発生し話題になっています。


そのカウンタックは、とある男性の父の愛車だった

今回、YouTube動画にて取り上げられたカウンタックがコチラ。

何ともシンプルなオールホワイトカラーで、サイドミラーキャップや足もとのホイールまで全てホワイトカラーにまとめられています。

このモデルは、過去にアレックス・ヘス氏という人物の父が所有していた愛車で、当時はこの車のおかげで、ランボルギーニ関連のクラブオーナーイベントやパーティーに参加していたとのこと。

ボディカラーや足もとのホイール、内装は全てホワイトで、サイドミラーは元々ブラックだったのですが、父がホワイトカラーに塗装したことで唯一無二のカウンタックに仕上げられました。

父が突如としてカウンタックの売却を決意

とある日、(具体的な理由は不明ながらも)父は突然カウンタックを売却することを決意。

アレックス・ヘス氏は、長年共にしてきたカウンタックを手放すことに強く反対したそうですが、父は息子の想いに反して売却。

その後、アレックス・ヘス氏は「いつか父のカウンタックを買い戻す」と決意し、大学を卒業して会社員を経験した後、2024年現在はエキゾチックカーディーラーの経営者にまで上り詰めました。

本当に欲しいカウンタックが見つからない…気持ち的にも諦めていた、そのとき!

彼は経営者になっても、父が売却したカウンタックを毎日探し続けましたが、全く見つかることはありませんでした。

気持ち的にも諦めかけていた…そんなときでした。

ある日、彼が経営するカーディーラーに1通の電話が。

その男性は「カウンタックを売りたい」と言い、エキゾチックカーディーラーに売却にきたとのことですが、何と驚いたことに、ボディカラーやサイドミラーキャップ、そして内装も全て真っ白で、足もとのホイールもホワイトだったんですね。

アレックス・ヘス氏は、その個体を見て大きな衝撃を受け「是非ともこの車を買い取らせてほしい」と、売りに来た男性が希望する金額で即買い取ったそうです。

2ページ目:もう二度と帰ってこないと思っていたランボルギーニ・カウンタック…買い取った後どうなった?