世界一速いスピード違反者と世界初のスピード違反者知ってる?今もなお語り継がれるスモーキー永田 氏の記録を見ていこう【動画有】

2020-11-07

~忘れた頃に改めて見たいスモーキー永田 氏の伝説~

先日、自動車系ユーチューバーRoadshowが日本の過激チューナー・トップシークレット(TOP SECRET)によって過激改造された日産「スカイラインGT-R R32(Nissan Skyline GT-R R32)」をご紹介しましたが、今回はトップシークレットの経営者であるスモーキー永田 氏(本名:永田和彦)の伝説をご紹介。

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1997年、スモーキー永田 氏はイギリスのMロード(高速道路)にて、”どこまで速度を伸ばすことができるのか”に挑戦しました。
制限速度70マイル(約113km/h)に対して、時速317km/hというとんでもないスピードにて走行した記録を持っているわけですが、この日はあまりにもタイミングが悪く、後続のパトカーから取締を受け、205km/hの速度超過にて逮捕、更には世界一の速度超過(スピード違反)記録として世に知れ渡りました。


~そもそも”スモーキー”と呼ばれる理由とは?~

当時、スモーキー永田 氏が乗っていた個体はトヨタ「80スープラ」で、何と日産「GT-R」のエンジンを搭載し最高出力 約800psを発揮。
スモーキー永田 氏は、後輪を空転させることでタイヤスモークを発煙させるバーンアウトを得意としており、国内の首都高の料金所毎に必ずバーンアウトしていたことから、なぜか「スモーキー」というニックネームがついたわけですが、今回の挑戦においてもしっかりとバーンアウトを実施しているのが、以下の動画でも確認できます。

Mロードでは、「スープラ」の力を最大限に発揮し、一歩間違えれば即死レベルのスピードに達するもポリスカーに捕まり、翌日のデイリー・ミラー紙ではデカデカと記事として取り上げられることに。

ちなみに、彼は3日間の拘留後、釈放され帰国したわけですが、日本の新聞各社は「ここまで大きな犯罪を犯したにも関わらず、なぜ3日後に帰国させたのか」と大騒ぎしていました。
しかしながら、イギリスでは彼のような速度違反者がMロード上を爆走した”英雄”のように扱っていたため、日本以外のオーストラリアやニュージーランドでは、彼はカルト的な存在であったと言われています。

以下は当時の速度違反記録の瞬間を放送していた番組となりますが、現代のバラエティー番組ではまず有り得ない内容となっており、昔の放送はある意味何でもありの内容だったように記憶しています。

【Smokey nagata VS U.K.police】

~それでは”世界初”の速度違反記録は何kmでどんな車両だった?~

先ほどは世界最速のスピード違反記録をご紹介しましたが、今度は”世界初”のスピード違反記録をご紹介。

その個体は「アーノルド・ベンツ・モーター・キャリッジ」という個体で、この個体を開発・所有していたウォルター・アーノルドCEOが、1986年にイギリス・パドックグリーンにて、制限速度3km/hのところを約4倍の時速13km/hにて走行してしまったため、有罪判決(1シリング=10.5円の罰金)を受けてしまったと記録されています。

昔の公道?と思われる路上を制限速度3km/hに設定していたことも驚きですが、当時は今のような舗装された道以外にも、制限速度を設けていた道(いわゆる歩道を優先とした狭い道)が多く存在し、そういったところの速度制限は非常に厳しかったようですね。

ただ、今回のようなスピード違反をきっかけに、「時速3km/hではあまりにも厳しすぎる!」という理由から、1896年後半にこの法律は撤廃され制限速度が3km/h→23km/hにまで引き上げられという事実も。
この速度違反を受けた後、ウォルター・アーノルド氏は、ロンドンからブライトンまでの距離108kmを走破するロイヤル・モーター・クラブ「ベテラン・カラー・ラン」に参戦し、大きな功績を讃えられるほどの有名人になり、その後の自動車技術の発展と可能性にも大きく貢献しています。

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