究極の矛盾…池袋母子死亡事故にて飯塚幸三被告が謝罪するも「車に異常があった」と無罪を主張。ナゼこの期に及んで車のせいにできるのかを考える【動画有】

2022-06-29

今回の無罪主張を覆すことは極めて困難であり、”記憶”が”記録”に勝ることはできない

ただ、今回の被告の主張に対して検察側は、「車は定期点検を受けていて、ブレーキやアクセルの異常はなかった。アクセルペダルを踏み込んだデータは残っているが、ブレーキを踏んだデータは残っていない」と指摘していることから、例え1年半ほど前の記憶でうろ覚えだったとしても、記録はいつまでも色あせず残り続けるため、この結果を覆すことは不可能なんですね。

恐らく「故意の事故」ではないことを前提に話をしたいのでしょうが、それでも無罪を主張するというのは到底理解することはできず(とても恐ろしくて主張できない)、ましてや以下の言い逃れのできない4項目がありながらも、「自分は関係ない」というスタンスをとるのはあまりにも無責任ではないか思うんです。

・事故後の救護義務違反
・60km/h制限のところを90km/h以上にて走行するという速度違反
・目撃証言ではブレーキランプが点灯していなかった
・パーキンソン病の疑い有で医師からは運転を控えるよう指示されていた


なぜ飯塚幸三 被告は無罪を主張するのか?

こういった発言が出るということは、彼自身のプライドや今まで得られていた地位や権力が影響してきたために、誰も彼の意見を否定する人がいなかった(それだけ環境が特殊だった)として、自分の本心と思われる意見を最後まで全うしてしまっているのかもしれません。

本音と建前ではありませんが、恐らくは「謝罪が建前」で「無罪主張が本音」という形で混同してしまい、しかしそれを指摘できる人もおらず、自身の正当化することしか答えを見いだせなかったのかもしれませんね。

飯塚幸三 被告は、今回の一件で「上級国民」と揶揄された肩書を付けられていますが、これはいわば自身の信頼や地位・名誉が崩壊されたことを意味していて、しかしそれに気づかずして被告自身は「私は上級国民である」と考えているのであれば、それこそ非常に残念なことではないかと思います。

☆★☆関連記事5選はコチラ!☆★☆